1940年
8月にとうとうイギリスを降したドイツは、戦争準備を行った後、いよいよソ連に宣戦布告するわけである。
戦争準備といっても、具体的には各種師団編成の正面戦闘幅を40にするというだけのことだが(と、装備の充足)。
同年9月22日、スイスに宣戦布告!
同年10月10日、スイス降伏。
さすがに武装中立国家とはいえども、タンネンバウム作戦の餌食になってしまった()
1941年
ソ連のアホがポーランドに戦争を仕掛けてきたので、こちらもあわててポーランドに戦争の正当化を実行。
1月3日、ポーランドに宣戦布告!
真冬のこの時期に戦争するだなんて、どうかしてる(怒)
同月22日、ポーランド降伏。
ワルシャワを陥落させたとはいえソ連がかなり迫っていましたから、領土獲得できたのはポーランド領の3分の1もなかった…。
で、とうとうソ連憎しの声が強まり、
同年3月3日、ソ連に宣戦布告!
ソ連に食われた旧ポーランド領もソ連の傀儡国として参戦してきたので、5~6月にかけて全て食らい尽くしてやった。
ところがだ、
共和スペインもコミンテルン陣営として参戦してるのね(泣)
二正面作戦とか、ほんと勘弁して欲しい(怒)
とりあえず4個軍を共和スペインにぶつけているが、ほぼ五分五分の勝負とか、ドイツ軍、弱いの?と思うレベル。
1942年
で、二正面作戦を強いられ続けた結果、モスクワ陥落させたのが5月17日…。
ソ連と開戦して1年以上が経ってしまった…。
同年5月20日、共和スペイン降伏。
絶許。
という感情はとりあえずわきに置いておいて、急いでソ連戦線に向かう。
何しろ共和スペインと遊ぶために最終的に141個師団を投入していたんだから(泣)
いやね、共和スペインの方が弱いと思ったの。
だからソ連戦線を膠着状態にして、とっとと共和スペインを倒そうと思っていたんだよね。
1年かかるとは全く思っていなかったけど()
1か月ちょいだろうなーって()
5月20日時点の戦況はこんなもの。
モスクワからほとんど進んでいない(汗)
ドイツ軍の死者も1.36Mに達した。
まあ、まだ1.4Mプールがあるから、無差別とか根こそぎの徴集をする予定はないが。
にしてもまだまだソ連は元気だなぁ…(嫉妬)
同年10月22日、大日本帝国が枢軸国入り!
いやー、めでたいめでたい。
もちろんこの後帝国はソ連に宣戦布告して漁夫の利を得ようとしましたよ?()
でもそのおかげで、
同年11月4日、ソ連降伏。
今回は戦勝点を独占できなかったので、あまり思い通りに領土獲得ができなかった。
個人的感情により共和スペインだけは全ての州を得ようと思ったのだが、重要度でいえばスペインよりもソ連が上だったもんで、ソ連半分獲得したらイタリアにスペインが食われてた…。
さあ、残る列国は中華民国を残すのみとなったわけだ!
…え?鬼畜米帝はって?
政党支持工作してたの忘れて放置してたら、いつの間にやら自由帝国になってた(汗)
同じファシスト国家同士、覇権を争うというのもカッコいいかもしれんが、味方になる可能性が今のところ0ではない以上、下手に刺激をしないことにする。
1943年
ということで、
4月13日、西北三馬に宣戦布告!
9月ごろには降伏させたのだが、結構時間がかかってしまった。
つか、要因は補給線である。
インフラが破綻しまくったのだ(悲)
破綻した要因は、ずばり、枢軸国に参戦を呼びかけてしまったこと。
ドイツ単独で圧倒できるなら、単独で仕掛けた方が良いということがよく分かった(今更感)
1944年
1月23日、中華民国に宣戦布告!
西北三馬戦での教訓をもとに、今回は単独で戦争することにする。
その結果、超順調に推移(最後北京の抵抗はそこそこあった)にし、
同年7月25日、中華民国降伏。
これで大量の工場と資源が手に入った!
…あと不足してるのは石油だけなんだよなぁ(…アメリカ帝国行くか)